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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】石狩市 石狩八幡神社

石狩八幡神社(いしかりはちまんじんじゃ)は、北海道石狩市弁天町1に所在する神社で旧社格は郷社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと) で例祭日は9月15日。

正式名称は八幡神社ではあるが、一般的に広く定着している「石狩八幡神社」という通称を社名として記させて頂きました。

1858年(安政5年)創建の古い神社(北海道の歴史では)で、もとは対岸(石狩川右岸)にあったものを、1874年(明治7年)に現在地(旧辨天社があった所)へ遷座しました。対岸が八幡町でここが弁天町なのも、そういうことです。

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石狩市

 石狩の名前はアイヌ語に由来しますが、解釈は諸説あり定まってはいません。イ・シカラ・ペッ i-sikar-pet - 回流(曲がりくねった)川(中流のアイヌによる説、永田方正『北海道蝦夷語地名解』より)

 松前藩により石狩川河口部流域が「場所」(交易を行う範囲)に指定され(慶長年間(1596‐1615)石狩場所が置かれた)、長くサケ漁やニシン漁を主とする漁業の中心地となり交通の要所であったことから、重要な役割を果たしてきました。蝦夷(アイヌ)との交易の中心地でもありました。

 また、内陸部で切り出した木材を道外へ運ぶための木場も設けられるなど、江戸時代の石狩は石狩川流域地域との中継点として重要な役割を果たしました。

 明治時代になると、愛知県や石川県、高知県などから移住者が入り、花畔(ばんなぐろ)村、生振(おやふる)村、樽川(たるかわ)村の三つの村ができ、近代的な開拓が始まります。石狩の平野部は砂地のため、最初は畑作のほか酪農がさかんにおこなわれました。1902年(明治35年)には合併による二級町村制施行により石狩郡の石狩川河口付近の10町と生振村が合併して石狩町となります。

 1964年(昭和39年)札幌市の急激な人口増加から現在の花川南地区が大規模住宅地として開発が進み、人口はめざましく増加しました。

 1973年(昭和48年)から着工された石狩湾新港は、国際貿易拠点港として期待されています。

 1996年(平成8年)9月1日に、石狩町は「石狩市」となり市制が施行され、着々と発展をとげます。

 2005年(平成17年)10月1日に、石狩市・厚田村・浜益村が合併して、新「石狩市」が誕生しました。

今の石狩の中心地は、かつて繁栄した本町のある河口部から札幌圏の団地化とした花川地区へと移り変わっています。

石狩八幡神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 安政5年箱館総社八幡宮神主菊池大蔵重賢より蝦夷地の中に当社八幡宮の末社を勧請し、蝦夷地惣鎮守として宮祠造営されるよう箱館奉行に願い出たのを始めとする。安政5年石狩町川東町(現在の八幡町)に石狩八幡宮を建立する。明治3年御神体を神祇官において点検、点状を下渡される。明治7年有志と協議の上弁天町の現在地に奉遷し現在地の稲荷大神を相殿に祀る。明治8年石狩郡郷社となる。明治34年本殿等を新築。大正4年神饌幣帛料供進神社に指定される。戦後宗教法人となる。

【所在地】
〒061-3372 石狩市弁天町1番地
電話 0133-62-3006 FAX 0133-62-3008
【例祭日】
9月15日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
【旧社格】

郷社

【社宝等】
石燈籠(明治元年製)

石狩八幡神社(北海道神社庁サイト)

由緒に出てくる菊池重賢の子孫は後に札幌八幡宮を設立します。

兼務社は、生振神社・生北神社・高岡神社・樽川神社・花畔神社・川下八幡神社となっています。

 石狩八幡神社の鳥居はもともと石狩弁天社が移転前に使用していたもので、刻印された「秋味」の語は北海道内に残る最古の使用例である。

 境内にある御神燈軸石(保護中)は、もとは石灯籠で1868年(慶応4年 / 明治元年)7月に石狩役所を主宰していた井上弥吉が、同郷のよしみで木戸孝允に書いてもらった「文武一徳」および「肇域四方」の文字を刻んだ1対を奉献したものだったが、その後50年が経つうちに石灯籠は散逸してしまい、1919年(大正8年)になんとか軸石の部分だけを見つけ出し碑へと改修したものです。表面が剥落するなど風化による痛みが激しいのでカバーを掛けて保護されてます。

大正5年測図、昭和10年修正地形図

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 正面から

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社号標は昭和2年9月と書いてあります。

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鳥居は元々この地にあった辨天社の鳥居をそのまま使用しています。

兵庫産の白御影石の鳥居はこちらでは珍しく、奉納者の財力が大きかったことが伺えます。「海上安全」の文字が刻まれています。

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右側

奉 海上  願主 当場所 請負人中
        同秋味 建船中

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裏には文化10年(1813年)の文字

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左側

献 安全 願主 栖原屋半助
       米屋孫兵衛

両名共に蝦夷地各場所を請け負った豪商です。

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一部消されてる〇〇三十年紀念碑(明治36年7月建立)

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大禮記念の碑(昭和5年9月建立)

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御神燈軸石(保護中)

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手水舎

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手水鉢は新しいものになっていて、2005年(平成17年)まで辨天社時代(1789年(寛政元年))のものが置かれていましたが、現在は資料館(後述)に保存されています。

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石灯籠は昭和8年9月奉納

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お賽銭投入口がありますが、音がどうにも床に落ちた音のような・・・

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御朱印

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参道右側に出入り口と奥に社務所があってインターホンを押すと対応して頂けますが、宮司一人で兼務社もあることから不在な時もあり、御朱印は電話確認して2回目訪問で頂きました。

初穂料は300円。

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www.moiwa-orosi.com

www.moiwa-orosi.com

いしかり砂丘の風資料館にある手水鉢

石狩八幡神社には2005年(平成17年)まで辨天社時代(1789年(寛政元年))の手水鉢が置かれていましたが、石狩市指定文化財第7号に登録されて現在はこの資料館で保存されています。

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入館料は300円でちょっと高い。

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この手水鉢は木材交易を通じて江戸との関わりがあった証なのです。

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読みづらいけど寛政元年って書いてあります。

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石狩辨天社

所在地:北海道石狩市弁天町22-8 石狩八幡神社の南西400mの同じ通り沿いにあります。

移転前は石狩八幡神社の場所にありましたが、弁天社は「村山家の内神」という理由で同家所有地だった現在地に遷されました。

以下は石狩市HPから。

 創立1694年(元禄7)、鮭の豊漁を願って建てられた300年の歴史を誇る市内最古の建物。代々の石狩場所請負人などによって信仰され、かつては現在の八幡(はちまん)神社の場所に河口を向いて建っていましたが、明治7年八幡(はちまん)神社が八幡(はちまん)町から役所があり商店の多い本町地区に移ってきた際に現在の場所に移転しました。八幡(はちまん)神社にある鳥居は、もともと弁天社に奉納されたもので、「海上安全」の文字が刻まれています。主神は弁天様のほかに、石狩川の主を神格化「妙亀法鮫」通称サメ様が奉られています。

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左側にある手水舎

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手水鉢は蛇紋岩(茨城産町屋石(まちやいし))で出来ていて側面には「弘化二年」(1845)や「水府港大内石可」の刻印が読み取れる。

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右側にある手水舎

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同じ石材ですが割れて破損したものを修復した後があります。

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かなり古そうで風化により灯籠の軸石だけが残っている。

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北千島沖流網之碑

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潮風などの風化から守るために小屋に入ってる狛犬

風化が進んで丸くなってきてますね。

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石狩弁天社の鮫様(妙亀・法亀大明神像) いしかりべんてんてんしゃのさめさま 2007(H19)年3月20日 北海道有形民俗文化財に指定されました。

画像は文化遺産オンラインから

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