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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】札幌市手稲区 手稲神社

手稲神社(ていねじんじゃ)は、札幌市手稲区手稲本町2条3丁目4番28号にある神社で旧社格は郷社です。御祭神は大國魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遲神(おおなむぢのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけおおかみ)、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、菅原道眞公(すがわらみちざねこう) で例祭日は9月15日。

平日にもかかわらず参拝客も多く、綺麗に整備された神社で見どころいっぱいでした。

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手稲本町(ていねほんちょう)

 手稲は、1967年(昭和42年)3月1日に札幌市と合併するまでの旧手稲町の総称である。アイヌ語の「テイネ・イ」(濡(ぬ)れているところ、湿地の意)が語源であって、これは手稲連峰を源とする発寒川、軽川、星置川など中・小河川がすべて山裾の平地をめがけて流下しており、明治初期までは北部一帯の原野が湿地帯であったことに由来しています。

 現在の手稲本町の辺りは、古くは軽川(がるがわ)と言われた地名で、市街の中心を南北に流れる軽川からとったものです。この川は渇水期になるとよく川の水が枯れてしまうので、涸(か)る川と呼ばれていたものを、のちになまって「がるがわ」になったというのが定説であるようです。

 軽川地区への最初の移住者や初期開発の過程については、記録がないので明らかではなく、1871年(明治4年)開拓使がサンタロペツ(現手稲区富丘)に通行屋を設けたころ、西側隣接地稲穂にも4~5戸の居住者があったので、本府開設に前後して拓け始めたようです。

 軽川の中心は軽川街道(旧国道あたり)であり、市街地はこの沿線に沿って広がって、1897年(明治30年)代には、戸数も40を超え手稲村大字下手稲村の中枢部になります。

 札幌~小樽間の交通の要所でもあり小樽~石狩間の経由地点でもあったため、宿場町の様相もありました。

 1951年(昭和26年)手稲村が町制施行し手稲町となると軽川の地名も手稲本町と改称して消滅します。(国鉄軽川駅も翌年に手稲駅と改称します)

手稲神社

1869年(明治2年)勅命を奉じて鎮祭された札幌神社(現北海道神宮)を遙拝すべく小祠を設けたのに始まる。

1897年(明治30年)9月4日正式遙拝所として許可され、軽川遥拝所となる。

1899年(明治32年)5月18日公認神社となり、社号を手稲神社と公称。

1904年(明治37年)3月28日社殿造営

1917年(大正6年)8月23日村社となる。

1941年(昭和16年)4月1日郷社となる。

1947年(昭和22年)10月8日手稲山々頂に奥宮を創建。

1999年(平成11年)御鎮座100年を迎える。

この間に合祀された神社は稲穂神社、小樽内川稲荷神社、新川神社です。

【御祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ)
大那牟遲神(おおなむぢのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 「稲穂神社(大正元年9月30日合祀)」
豊受大神(とようけおおかみ)「稲穂神社(大正元年9月30日合祀)」
倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 「小樽内川稲荷神社(昭和47年10月8日合祀)」
菅原道眞公(すがわらみちざねこう) 「新川神社(昭和48年10月13日合祀)」

手稲神社(北海道神社庁サイト)

左:大正5年測図地形図 右:現在

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右側の小さい階段は藤白龍神社に通じる参道となっています。

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村社紀念碑(裏は読めませんでした。大正6年建立?)

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社務所脇にある御神木「福松」

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せのび石(測ったら180cm。。。背が伸びたんでしょうねw)

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手水舎(あまりこの生首タイプの龍の口は好きになれません)

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手水舎の右隣りにある龍神社(水の神様の銘がある)は謂れがよくわかりません

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下から見上げる感じになりますが凛々しいお姿。1966年(昭和41年)奉納

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両側から立ち上る龍の色彩が綺麗です。

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裏参道

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独特の顔立ちをしていますね。1916年(大正5年)奉納

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忠魂碑(手稲町殉國戦死者之霊)大正7年建立

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出羽三山碑(月山、羽黒山・湯殿山・鳥海山)出羽三山他の名が刻まれていて裏面を読むと個人が建てた碑のようだ。昭和51年建立

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牛馬塔 昭和11年建立

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藤白龍神社

終戦後まもない頃に建てられた白蛇を祀った小祠を平成8年に再建

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右隣には奥宮遥拝所

一年を通じて手稲山頂奥宮の参拝が出来るよう建立。手稲山に向かい、この鏡石を通して遙かに奥宮をお参り下さいとのこと。

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御朱印

参道左側に整備された駐車場があり、向かいに社務所がありますので中に入ると対応して頂けます。

初穂料は300円。

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