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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】札幌市西区 発寒(はっさむ)神社

発寒神社(はっさむじんじゃ)は、札幌市西区発寒11条3丁目1番33にある神社で旧社格は無格社です。御祭神は豊受大神(とようけのおおかみ)、倉稲御魂大神(うがのみたまのおおかみ) で例祭日は春祭5月15日、秋祭9月15日。

境内には昭和7年に発掘されたストーンサークルと後代の墳墓が一緒になった二重墳墓があります。(復元展示)

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発寒(はっさむ)

 発寒川左岸地域に位置し、札幌の歴史の中でも最も古くから文献などでも知られた場所です。

 現在の地図を見ると古くからある発寒地域だけが道路の向きや街並みの傾きが違っていて分かりやすいです。(南北の碁盤の目状に区画割りがされている)

 地名の由来はアイヌ語の「ハチャム・ペッ」で桜烏川、ムクドリのいる川の意であるとも言われているが、あくまでも通説であり確実ではない。

 この地が和人に知られるようになったのは1669年(寛文9年)ごろ蝦夷地の調査を行った津軽藩隠密 牧只右衛門の聞取り書に「石狩口より一里ほど登り候て、はっしゃぶより二里程登り……」とあり、「はっしゃぶ」の地名が現れている。その後も松前藩の報告書や松浦武四郎の日誌にもハッシャブやハッシャム等の地名が出てきます。

 発寒に初めて和人が居住したのは、1857年(安政4年)北方ロシアの侵略に備える政策として行われた、幕府の兵農一致の在住制度による幕臣山岡精次郎、大竹慎十郎、永田休蔵ら20人とその従者の定住であるが、彼らの先駆的開拓の後に、やがて1876年(明治9年)琴似屯田兵村の分村として発寒地区にも屯田兵32戸の発寒屯田兵村ができ、発寒村の基礎を築きました。

1883年(明治16年)発寒村が琴似村と合併。

1942年(昭和17年)琴似村が町制施行し琴似町となり、琴似発寒となる。

1955年(昭和30年)琴似町が札幌市と合併。

1972年(昭和47年)札幌市が政令指定都市となり区制施行。札幌市西区発寒となる。

発寒神社

1856年(安政3年)山岡主計守、祠を建て稲荷大神を祀る。

1898年(明治31年)伊勢より豊受大神の御分霊を授與賜り合祀する。

1899年(明治32年)無格社稲荷神社を創祀。

1903年(明治36年)発寒神社と改称する。

1984年(昭和59年)新社殿をコンクリートにて竣工、境内地に演舞場、神社会館を併設している。

【御祭神】
豊受大神(とようけのおおかみ)
倉稲御魂大神(うがのみたまのおおかみ)

発寒神社(北海道神社庁サイト)

左:大正5年測図地形図を見ると境内地は現在地向かいにある小学校付近にあったのですね。

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参道の様子。奥にある拝殿と社殿は正面を向いていません。

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現在、社務所を新築中です。

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手水舎は手水が出るところがセンサーで自然石の上を流れ落ちてきます。

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土俵と隣にトイレあります(ありがたく使用させていただきました)

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参道がT字路になっています。

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もう一つの鳥居門は正面に拝殿が見えますね。こちら側が正式な入り口なのかな?とてもいい雰囲気です。

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「発寒屯田兵移住百年記念碑」と「発寒移住記念碑」

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「史蹟環状石垣之跡」碑

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「馬頭記念碑」

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狛犬の模様が素敵です。ここも左右逆配置なのですね。

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おめめパッチリの狛犬さん

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御朱印

駐車場は参道左側出入り口と、もう一つ右側に月極駐車場側からの出入り口の2箇所があります

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ピザ屋さんのFBから駐車場見取り図を拝借

入口付近は3台は参拝者用であと15台以上は参道両側の区画なのですね。

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仮社務所

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御朱印

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www.moiwa-orosi.com

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