藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【御朱印なし】苫小牧市勇払 勇払恵比須神社

恵比須神社(えびすじんじゃ)は北海道苫小牧市字勇払138番地1 にある神社で旧社格は村社。例祭日は8月10日。

 この地域から古くからあった江戸時代後期の民間信仰である堂社は、18世紀中ばに設立された弁天社や、場所請負人山田文右衛門によって文政4(1821)年以降に創建された竜神社などがあり、まだこの時代は神仏習合でした。

 明治政府は明治元年に神道と仏教の区別を明確にするため神仏分離令を布告し北海道でも明治6,7(1868、1869)年に実施され、勇払各所にあった弁天社、竜神社に加え大黒天社が統合され事代主社となり、これが現在の恵比須神社の前身となりました。

勇払地区

 勇払の地名由来はアイヌ語であるが、その解釈ははっきりしていなく古い文献では、津軽一統志は「いふつ」(1670 年)、元禄島絵図でも「いぶつ」(1700 年)であるが、どういうわけか幕末から明治にかけて「ユウフツ」となり、「ユー・プッ〈yu-put〉温泉(川)の・口」と解されるようになった。 ほど近い鵡川の古老たちに聞いて見たら、はっきり「イプッ〈i-put〉それの・口」あるいは「イプトゥ〈i-putu〉それの・その口」で、古い文献の音と全く同じである。(山田秀三「北海道の地名」から) アイヌの時代から勇払川は千歳・石狩方面への交通手段として使われていたことから、〈i-putu〉それの・その口はシコツ(現:千歳)への入り口のことを指しているのではなかろうか。
 勇払川からは600年前のものとされる丸木舟が発掘され、苫小牧市博物館に展示されていて、アイヌの集落跡からは和人との交流を示す通貨や漆器なども発掘され、比較的早い時期に和人の入植が始まってます。

 江戸時代の勇払は東蝦夷地に属し、松前藩によってユウフツ場所が開かれ苫小牧には北前船が寄航することもあり、陸上交通は渡島国の箱館を基点とし道東や千島国方面に至る陸路(苫小牧以西は札幌本道や国道36号、苫小牧以東は国道235号の前身)が東西に、また文化年間には勇払から北の千歳に至る千歳越が通じていました。

 江戸時代後期、国防のため寛政11年(1799年)勇払郡域は天領とされ、翌12年には北方警備の強化を目指した江戸幕府の依頼により、八王子千人同心・原胤敦の弟・新助の一行約50人が移住し苫小牧市の基礎を築きます。(会所が設置される)

 文政4年(1821年)には一旦松前藩領に復し、安政2年(1855年)勇払郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこないました。

 明治時代初期にも勇払郡開拓使出張所も設置され、集落の規模こそ大きくはないが地域の要衝となります。しかし1873年に開通した札幌本道(日本初の馬車道)が、勇払の西方に位置する苫細(苫小牧)を経由することとなり開拓使出張所が苫細(苫小牧)へ移転。交通の要衝としての役割も低下し、徐々に衰退しました。

大正5年測図、昭和10年修正及び昭和19年部分修正地形図

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周囲は耕作に適さない湿地帯及び砂丘が広がっていました。上方には昭和19年に完成した陸軍飛行場がありますね。

恵比須神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 当神社の御創建については、正確に記録された文献等がなく、審かな年代は不詳なれど昭和26年4月時の神職永井暁が北海道庁に提出した神社明細報告に現在苫小牧市指定文化財になっている嘉永3年9月9日付南部左井の住人樋口某奉納の宮形の側面に墨書されたものを創立年としたものである。当神社は従来『蛭子(エビス)神社』の社号で祀られたが、昭和27年3月現社号『恵比須神社』と変更したものである。昭和32年勇払107番地の社殿を勇払138番地(現在地)に移転改築し今日に至っている。昭和35年12月先代宮司片石芳三就任、昭和47年4月現宮司片石昌伸が就任した。平成14年現宮司片石秀伸が就任、寛文9年(1669)頃の『津軽一統誌』に「勇払在家百軒東蝦夷地屈指なり」の記録が残されているように当地域は歴史的にも由緒のある所で、昭和36年10月当神社奉納品21点が苫小牧市指定文化財として指定されている。

【所在地】
〒059-1372 苫小牧市字勇払138番地1
電話 0144-56-0604 FAX 0144-56-0604
【例祭日】
8月10日
【祭神】
恵比須神
【旧社格】
村社

【社宝等】
市指定21点

勇払沼ノ端通から入ってきたのですが、その先に鳥居があるので、どうやら裏参道だったみたいです。

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参道を直角に曲がると社殿があります

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手水舎

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苫小牧市の指定文化財になっている円方方位付手水鉢(文久4年(1864))

場所請負人山田文右衛門によって文政4(1821)年以降に創建された竜神社のものか

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石灯籠(文久4年(1864))も苫小牧市指定文化財になっています

これも竜神社のものか

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右側は厚真地震の影響で崩れ落ちています

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亀に乗ったなんかの碑(神名がいくつか刻まれています)

台座に盧溝橋事変とありますので1937年以降の物

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奉納 日高石と標杭に書かれてます

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狛犬

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拝殿の両側には古い石灯籠の傘の部分が置かれています。

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社殿左側の空き地には恵比須神社に変わる前の蛭子(えびす)神社社号標

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地鎮神碑

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社務所

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