藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【御朱印未確認】札幌市東区 丘珠神社

丘珠神社(おかだまじんじゃ)は札幌市東区丘珠町183番地4 にある神社で旧社格は村社。例祭日は9月15日。天照大神(あまてらすおおかみ) を祀っています。

苗穂丘珠通沿いにある無人ですが立派な神社ですね。苗穂丘珠通も明治の時代には伏籠川沿いに丘珠地区と札幌中心部を結ぶ重要な道路でしたが、現在は伏古拓北通が出来てからは多少静かな道路になりました。

丘珠地区

 丘珠(おかだま)の地名はアイヌ語由来で「オッカイ・タム・チャラパ〈okkay-tam-carpa〉(男が刀を落としたる所)」と言われ地名に川や地形及び動植物の状態が込められて付けられるアイヌ語地名の中では異色であり真偽の程は定かではありません。

 現在の丘珠といえば玉ねぎの一大産地ですが、明治の頃のこのあたりは一面森林地帯であり、人々は炭焼を営み生活をしていました。

 そして1878年(明治11年)1月11日~18日にかけて開拓民を震え上がらせる一大事件が発生します。

札幌丘珠事件「日本史上4番目に大きな被害を出した獣害(じゅうがい)事件」

 1878年(明治11年)1月11日、札幌円山の山中で猟師が冬眠中のヒグマを発見し狩ろうとしますが、ヒグマの逆襲にあい死亡します。

 冬眠中を起こされたヒグマは飢えて札幌市街を駆け抜けたため17日に札幌警察署警察吏の森長保が指揮を執る駆除隊が急遽編成され、豊平川を渡った平岸村にて発見。追撃を開始するもヒグマは月寒村→白石村→豊平川を渡河→雁来と逃走し、猛吹雪の中で駆除隊は見失ってしまいました。

 17日深夜、逃走を重ねた件のヒグマが突如として丘珠村の開拓民堺倉吉の家を襲います。異変を感じて起きた倉吉は筵戸を上げたところで熊の一撃を受け昏倒。妻リツは幼い長男留吉を抱いて逃げ出したものの、後頭部にヒグマの爪を受けて留吉を落としてしまう。頭皮を剥ぎ取られながらもリツは村民に助けを呼びますが、結果として倉吉と留吉は食い殺され、リツと雇女が重症を負いました。
 18日昼、ヒグマは駆除隊に発見され射殺、駆除されました。加害獣はオスのヒグマで体長は1.9mあった記録があります。

 後日談として、警察署前で晒された後、札幌農学校に運ばれ解剖されますが、解剖実習を行った生徒が教授の目を盗んで肉塊を切り取り、休憩時間に焼いてみな熊の肉は臭い臭いといって食べます。休憩が終わり解剖がふたたび始まると、胃袋の中から赤子の頭巾や手足、女房の引きむしられた頭髪が出てきて、熊肉を食した生徒たちは土気色になり外に飛び出し熊肉を吐き出したそうです。

 なお、解剖実習に参加した生徒の一人に当時1年生だった新渡戸稲造がいました。

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 丘珠神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治3年入植者による伊勢講を基点として、明治15年9月16日、祠を建立したのが始まりと云う。明治25年10月、丘珠神社と号した。昭和3年1月、村社に列格。昭和28年3月、宗教法人の認証を受ける 昭和43年8月、社殿改築(現社殿)竣工した。

【所在地】
〒007-0880 札幌市東区丘珠町183番地4
【例祭日】
9月15日
【祭神】
天照大神(あまてらすおおかみ)
【旧社格】
村社

【社宝等】
丘珠獅子舞(札幌市指定無形文化財)

【特殊神事】
丘珠獅子舞 札幌市無形文化財指定第1号。神社例祭時に必ず奉納される舞として伝承されて来た。後継者の育成が大変であるが、伝承保存会を結成し小学生の頃より獅子舞を身近なものと認識し、且、伝承が必要であると自覚する様に啓蒙している。

一ノ鳥居

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丘珠開基百二十年記念之碑(平成2年10月建立)

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石灯籠(村社昇格記念昭和4年9月建立)

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狛犬(建立日不明)

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征露凱旋記念碑(明治39年建立)モルタルで埋められた征の字が剥げて見えるようになりました。

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二ノ鳥居

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鳥居の裏には裏面左:大正二年五月 裏面右:事故に依り倒壊之為再建 昭和五十年十二月

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石灯籠(明治44年9月建立)

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古い手水鉢(明治44年9月建立)

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手水舎

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水盤には昭和十一年十月特別大演習記念と刻まれてます。

昭和11年(1936)年、北海道で開催された陸軍特別大演習では、弘前の第八師団が南軍として、旭川の第七師団が北軍として演習を行いました。

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馬頭観世音碑(大正15年8月建立)

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御朱印

無人社であるため基本的には御朱印は頂けませんが、初詣の時にでも聞いてみたいと思います。

敷地左側にある駐車スペースは広大ですね。

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拝殿右側には立派な社務所があり一見誰か居そうに見えますが無人です。

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