藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


スポンサードリンク
 

伊達市 史跡 北黄金貝塚(きたこがね かいづか)

 北黄金貝塚公園は北海道伊達市北黄金町75の噴火湾を見下ろす小高い丘の上にある貝塚で、1987(昭和62)年12月25日 史跡 北黄金貝塚(きたこがね かいづか)として史跡指定されています。

 縄文海進によりこの丘のふもと一帯は入り組んだ入り江になっていたようで、浜辺の集落もあって縄文人が生活していたようです。縄文時代前期(紀元前5,000年~紀元前3,500年頃)の貝塚を伴う集落遺跡です。

 北黄金貝塚は北海道に存在する縄文貝塚の1/5の面積を占める巨大貝塚です。また生活様式に本州の縄文人との大きな差異がみられこの生活様式の違いが後にアイヌ民族としての成り立ちになっているのではないかと考えられています。

  出土品のなかで目立つのは葬儀や祭事に使われたのではないかと思われる道具が多く、貝塚は古代人のゴミ捨て場というこれまでの学説に一石を投じる出土物が多いのも特徴です。貝塚からはハマグリ、カキ、ホタテなどの貝類や、マグロ、ヒラメなどの魚骨のほか、オットセイ、クジラなどの海獣類の骨も多く出土し、埋葬人骨を含む14基の墓やシカの頭骨を配置した動物儀礼の痕跡が確認されており、「送り場」としての貝塚の性格をよく表しています。

 ちなみにここの地名はアイヌ語地名が和名に転訛してつけられた名前で、現在は黄金(こがね)と呼びますが、アイヌ語では「オコプウベ(オコベ)」(川尻に・コンブ・群生する・者)から、「黄金蘂」(おこんしべ)とつけられ、のちに読みにくいことから「黄金」(こがね)に改称されました。

※2018/7/19にニュースで、この貝塚を含めた「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田)として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出するかどうか検討することが伝えられましたね。

f:id:ksn-bee:20180821215338j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215349j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215403j:plain

遺跡全体図

f:id:ksn-bee:20180821215415j:plain

 

f:id:ksn-bee:20180821231558j:plain

水場の祭祀場跡

f:id:ksn-bee:20180821215451j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215504j:plain

竪穴式住居

f:id:ksn-bee:20180821215516j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215528j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215540j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215552j:plain

B地点貝塚

f:id:ksn-bee:20180821215604j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215616j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215628j:plain

B地点貝塚に敷いてある貝殻はどこかのホタテ工場からの取り寄せなのか、当時の暖かい海には無かった貝ですので注意が必要です。(出土貝殻はハマグリ)

f:id:ksn-bee:20180821215640j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215718j:plain

 A’地点貝塚 

f:id:ksn-bee:20180821215802j:plain

f:id:ksn-bee:20180821215813j:plain

A’地点貝塚は寒冷期に入った頃のようで牡蠣・ホタテ・ウニがとれたようです。(ホタテしか敷いてませんがね。。。)

f:id:ksn-bee:20180821215825j:plain

まだそれほど知名度はないので訪れる人も少なく静かです。

これからの展開に期待します。

 


スポンサードリンク