藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。

白老郡白老町 仙台藩白老元陣屋跡に行ってきました

 仙台藩白老元陣屋とは

 仙台藩白老元陣屋(せんだいはんしらおいもとじんや)は、北海道白老郡白老町陣屋町にある国指定の史跡で、幕末期にロシアの南下政策を警戒した幕府が松前藩および東北諸藩に蝦夷地の分割警備を命じ、そのうちの仙台伊達藩は白老から襟裳岬を経て遠く国後、択捉両島までの太平洋側東蝦夷地の警備を命じられました。
 このために仙台藩は白老の地に元陣屋を築くことを計画し、根室、国後、択捉にも陣屋の計画をします。
 元陣屋の場所は西に白老川、東にウトカンベツ川が流れる両川に挟まれた地にあり、1856年(安政3年)に完成しました。

 元陣屋は面積が約66,000 m²、堀と土塁に囲まれた曲輪があり、内曲輪と外曲輪の中に6基の門を構えて本陣・勘定所・殻蔵・稽古場・長屋などを築き、常時120名の藩兵が駐屯していたと思われます。
 1859年(安政6年)これまでの蝦夷地警備は各藩の財政状況を悪化させたことにより幕府は警備地を各藩の領地とすることとし、藩領地となったことによって代官が置かれ、白老の民政を行いました。
 その後明治維新により1868年(慶応4年・明治元年戊辰戦争が勃発すると、官軍による陣屋攻撃の危険性が高まったため、陣屋を捨て仙台に引揚げることになります。
 陣屋にあった建物は解体され付近の住民の住居の材料になったりもし、遺構として判るのは土塁と堀跡だけとなってます。
1966年(昭和41年)国指定の史跡となりました。
1984年(昭和59年)白老町が整備した仙台藩白老元陣屋資料館も開館します。

白老町HPにある航空写真から

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大正8年測図、昭和10年修正地形図から切り抜き

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陣屋説明板

陣屋を挟む丘陵上にはそれぞれ、故郷の塩釜神社愛宕神社を勧請(かんじょう)してあります。

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一応、半円の馬出(うまだし)もありますが枡形虎口(ますがたこぐち)と共に、ぶった切ってるのが残念・・・

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外曲輪右側(ウトカンベツ川)の土塁

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外曲輪説明板

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長屋跡

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内曲輪

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内曲輪土塁外側の堀

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内曲輪説明板

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郭内の様子

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曲輪北側の出入り口は土塁を含めて小さめです

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北側にある資料館(休館日でした。。。)

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川沿いの土塁は道路と耕作地によって消滅しています

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