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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】石狩市厚田区 古潭八幡神社

古潭八幡神社(こたんはちまんじんじゃ)は石狩市厚田区古潭50番地にある神社で旧社格は郷社。御祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと) で例祭日は6月25日。嘉永9年(1856)5月創立。厚田神社の兼務社です。

八幡神社が正式名ではあるが、各地にあることから頭にその地域の名前をつけて便宜上、古潭八幡神社と記述することにします。

 

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厚田区古潭

 旧厚田村古潭(こたん)は古くから栄えていた地区で、1870年(明治3年)1月、開拓使厚田出張所が古潭村に設置され行政の中心地となった時期もありました。

 江戸時代の1700年(元禄13年)に幕府に献上された「元禄松前御国絵図」には、すでに「アツタ」や「オショロコツ」(現在の押琴(おしこと))などの地名があり、約300年前から和人が往来し、1万人を越える人々がニシンやサケ漁の季節労働に従事していました。特に押琴はその地形から天然の良港として多くの弁財船が来航し、運上屋(※蝦夷地(えぞち)における場所請負人(ばしょうけおいにん)の交易場の経営拠点)も建ちにぎわいを見せていました。今、古潭には「厚田村発祥の地」と「弁財船投錨地」の2つの石碑が並んで建っています。いしかり砂丘の風資料館 石狩ファイル0053-01(2006年3月31日)厚田の歴史から一部抜粋)

 古潭(こたん)の地名由来はアイヌ語のコタンペッ〈kotan-pet〉[村・川] 昔からアイヌの家がこの所に有ったため。や、 コタンウンペッ・コタヌンペッ〈kotan-un-pet 〉[村・のある・川]この川筋に古くからアイヌの村があったため。などから来ていて、いずれにせよ「コタン(家・村)があった」ことが名の元と思われる。 

下:大正5年測図、昭和10年修正地形図から切り抜き。

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古潭八幡神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 嘉永9年(1856)5月創立、明治44年4月28日郷社列格。惟神の大道に遵い普く同胞をして神恩を奉謝し神徳を奉体せしめ淳厚なる民風を作興し以て世界人類の福祉に寄与するを以て目的とする。当神社は当時道路の近傍なる故、自然尊厳を欠き不敬の所為を畏れ明治5年10月稍北方に奉遷(現在の鎮座地)。社格未定に付更に明治8年郷社と公称。其後本殿腐朽に付、明治33年3月13日改築を出願、同年5月22日許可、同年12月8日落成を届け出る。其後明治44年4月28日付を以て郷社に列せられる。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
春日神社 武甕槌神 嘉永2年創祀 明治44年4月28日合祀

【所在地】
〒061-3521 石狩市厚田区古潭50番地
【例祭日】
6月25日
【祭神】
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
【旧社格】

郷社

八幡神社(北海道神社庁サイト)

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手水鉢(弘化四年(1847))には辯才天と彫られ、かつて押琴村運上屋にあった弁天社の物か。(明治5年開拓使による北海道神社改正と称する神仏分離や統廃合を行った事により古潭八幡神社に置いたと思われる。)

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かなり風化の進んだ石灯籠(年代不明)

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石灯籠(嘉永三年(1850))押琴村運上屋弁天社の物。

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狛犬(嘉永三年(1850))押琴村運上屋弁天社の物。

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最上段からは古潭の集落と前浜が一望できます。

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神社そばの漁港近くにある弁財船投錨地碑と厚田村発祥之地碑

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◇弁財船投錨地 碑

安政5年(1858)、ここ古潭の地に和人が初めて越年してから漁場開拓が始まった。当時は陸上交通手段がなかったため、弁財船(北前船)が、本州と北海道を結ぶ唯一の交通手段であり、幕末から明治末期にかけて物流・文化交流など北海道沿岸開拓に大きく貢献した。古潭神社の見える押琴の入江は天然の良港として弁財船が停泊し、運上屋もおかれた。いしかり市民カレッジ 第2回 「『厚田』地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」から抜粋

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◇厚田村発祥之地碑
運上屋が置かれたアツタ場所の拠点であったヲショロコツ(押琴)・古潭地区に明治3年1月、開拓使厚田出張所が古潭村に設置され行政の中心地となった。いしかり市民カレッジ 第2回 「『厚田』地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」から抜粋

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御朱印

本務社である厚田神社で確認したところ古潭八幡神社の印はここ(厚田神社)に置いてないので、古潭八幡神社の例祭日である6/25に御朱印頂けるとの事で、厚田神社の宮司さんに電話でもお願いしてから訪問参拝しました。

普段は無人で厚田神社の宮司さんも祭事以外はめったに来ません。

駐車場はありませんので工夫しましょうね。

拝殿の戸を開くと中で氏子さんたちと囲んですでに出来上がっている宮司さんがいました。参拝後、御朱印お願いしますが、痛恨の二度押し。。。(嫌な予感はしてたけど)

来年の6/25また行くぞ。(電話連絡必須です)

初穂料は言われませんが、お賽銭箱に300円奉納させていただきました。

追記:その4ヶ月後、残念ながら平成30年10月に宮司さん亡くなったとの情報いただきました。現在、御朱印対応はどうなっているのか不明と言う事をお知らせいたします。

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www.moiwa-orosi.com

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