page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】石狩郡当別町 当別神社

当別神社(とうべつじんじゃ)は石狩郡当別町元町51-12にある神社で旧社格は村社です。例祭日は8月15日。御祭神として伊達邦直公を祀っています。

JR石狩当別駅から南に800mくらいの位置にあり、大きな敷地に隣接して阿蘇公園や伊達記念館などがあります。

綺麗に整備された神社で石碑もたくさんあり見どころがありますね。

実際訪れてみると、とても素敵で心地良い神社でした。

f:id:ksn-bee:20180608230814j:plain

 

大正5年測図、昭和10年修正測図の1/5万地形図から切り抜き

f:id:ksn-bee:20180609013323j:plain

当別と伊達邦直

 当別の地名はアイヌ語の「トペッ(to-pet)」(沼・川)から付いた地名で現在は水田に変わっていますが沼の多かった所だったのかも知れません。

 北海道開拓の歴史に強い結び付きがある伊達家ですが、当別町は伊達邦直(だてくになお)と家臣団が入植した地でもあります。

 伊達邦直は一門衆の岩出山伊達家当主で戊辰戦争に破れた後、所領を没収、禄高1万4千石から65石に大減封されて家臣が路頭に迷うのを憂い北海道開拓に志願します。

 1871年(明治4年)、当初は日本海側の厚田郡聚富(しっぷ、石狩市厚田区聚富)に入植しますが、砂が多く痩せた土地で作物が育たず困窮を極め、開拓使に移転を願い許される。

 調査の結果、山を越えた内陸側の当別が適地との結論を得て1872年(明治5年)に当別に開拓移住します。

 1891年(明治24年)1月、伊達邦直逝去。同年5月、子の基理(当別伊達氏当主)も逝去。

 翌年、1892年(明治25年)旧臣等が内務省に阿蘇神社(現当別神社)の創建を願い出て、伊達邦直を祭神として祀る。

 1940年(昭和15年)には皇紀2600年を記念し北海道開拓神社(北海道神宮境内社)に合祀される。

 ちなみに、伊達邦直の弟の伊達邦成(だてくにしげ、亘理伊達家当主)は、兄と同様に1870年(明治3年)北海道胆振国有珠郡(現伊達市)に家臣団を率いて入植します。伊達神社、開拓神社の祭神にもなっています。

当別神社

以下は北海道神社庁サイト当別神社から。

【由緒】
 明治5年伊達邦直公は家臣と共に厚田村シップから当別に移り開拓記念樹の傍らに小社を奉遷し阿蘇神社と称し8月15日を例祭日と定める。同24年1月12日邦直公は58歳で卒去され、翌年旧臣等の篤い敬慕の思いにより内務省へ神社創立の願いが出され同29年認可となり同年8月15日奉斎する。大正5年7月20日村社、同9年開基50年に当り社殿を造営。昭和42年社名を当別神社と改称し、同44年町開基100年の前年に45坪の社殿を再度造営する。
 平成8年、邦直公奉斎100年を記念し大祭を斎行。同18年、110年を記念し、社務所を改築し現在に至っている。

【例祭日】
8月15日

【主たる祭神】
伊達邦直之命(だてくになおのみこと)
【旧社格】

村社

【境内外末社】
聖徳神社 聖徳太子(しょうとくたいし)

当別神社(北海道神社庁サイト)

 

北門参道鳥居(現在の社殿を移築する前はここが正面で奥に旧社殿があった模様)

f:id:ksn-bee:20180608224114j:plain

開拓記念樹のイチイの木

f:id:ksn-bee:20180608224121j:plainf:id:ksn-bee:20180608224125j:plain

境内社聖徳神社(御祭神:聖徳太子) もともとは別の場所で当別大工組合がお祀りしていた社を大正の終わり頃に境内に移設したものらしい。

f:id:ksn-bee:20180608224130j:plain

鮎田如牛の碑。明治5年伊達邦直から命じられて私塾「鮎田塾」(当別小学校の基となる)を開いた家老鮎田如牛(あゆたにょぎゅう)の功績を称える碑。

f:id:ksn-bee:20180608224134j:plainf:id:ksn-bee:20180608224137j:plain

近藤辰雄氏之像(元当別町長)

f:id:ksn-bee:20180608224142j:plainf:id:ksn-bee:20180608224146j:plain

参道竣工記念碑(昭和11年建立)

f:id:ksn-bee:20180608224156j:plainf:id:ksn-bee:20180608224200j:plain

御大典記念植樹碑(昭和3年建立)と記念樹

f:id:ksn-bee:20180608230628j:plainf:id:ksn-bee:20180608230631j:plain

f:id:ksn-bee:20180608230635j:plain

阿蘇公園内側にある、あやめ園 7月からが見どころだそうです。訪問時は残念ながら咲いていませんでした。

f:id:ksn-bee:20180608230639j:plainf:id:ksn-bee:20180608230644j:plain

立派な屋根の土俵

f:id:ksn-bee:20180608230648j:plain

忠魂碑

f:id:ksn-bee:20180608230658j:plain

日露戦争凱旋記念碑

f:id:ksn-bee:20180608230705j:plainf:id:ksn-bee:20180608230709j:plain

吾妻謙頌徳碑 伊達邦直家臣で当別開拓の指導者。1889年(明治22年)46歳にて没。その死を知った邦直は非常に落胆したらしい。

旧社殿はここにあった模様です。

f:id:ksn-bee:20180608230714j:plain

当別開拓先駆者碑(昭和3年建立)

f:id:ksn-bee:20180608230850j:plain

当別村開拓紀功碑(大正9年建立)

f:id:ksn-bee:20180608230855j:plain

現在の正面参道と一ノ鳥居

f:id:ksn-bee:20180609005511j:plain

両脇にある石灯籠(昭和16年建立)が大きくて立派ですね。

f:id:ksn-bee:20180608222527j:plainf:id:ksn-bee:20180608222531j:plain

男爵伊達正人の名前があります。伊達邦直の孫で当別伊達氏3代目当主です。邦直の開拓功労が認められ男爵になりました。

f:id:ksn-bee:20180608222538j:plain

神社由緒

f:id:ksn-bee:20180608230608j:plainf:id:ksn-bee:20180608230612j:plain

参道にある一際大きなハルニレ

f:id:ksn-bee:20180608230617j:plain

手水舎 丸い自然石をくり抜いた水盤が印象的です。なんか良いですよねこういうのは。

f:id:ksn-bee:20180608230619j:plainf:id:ksn-bee:20180608230624j:plain

二ノ鳥居

f:id:ksn-bee:20180608230725j:plain

大きな玉乗り狛犬が素敵な姿をしています

f:id:ksn-bee:20180608230732j:plainf:id:ksn-bee:20180608230738j:plain

御創祀一百年記念碑

f:id:ksn-bee:20180608230747j:plain

f:id:ksn-bee:20180608230758j:plain

f:id:ksn-bee:20180608230807j:plain

御朱印

f:id:ksn-bee:20180609014220j:plainf:id:ksn-bee:20180609014235j:plain

f:id:ksn-bee:20180609014242j:plain

拝殿左側に立派な社務所と駐車場が整備されています。

授与所右側に玄関がありチャイムを鳴らすと対応して頂けます。

初穂料は300円。

f:id:ksn-bee:20180609014408j:plain

www.moiwa-orosi.com

www.moiwa-orosi.com