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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】札幌市東区 烈々布(れつれっぷ)神社

烈々布神社(れつれっぷじんじゃ)は札幌市東区北42条東10丁目1番地にある神社で、旧社格は無格社。御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)ほか8柱で例祭日は9月15日。

かつてはこの辺り一帯を「烈々布」と呼んでいました。

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烈々布(れつれっぷ)

さっぽろ文庫第1巻「札幌地名考」から抜粋

烈々布と言う文字は『札幌村史』によると、明治三年(一八七〇)烈々布に農家が七戸あり、と出ているのが最初である。この農民達はおそらく土地と水の便がよい伏篭川の川沿いに入植していたものと思われる。
 明治三年五月元村に開拓使の募移民として二二戸が入植した時、七戸がこの烈々布地区に入ったのか、それ以前に入植していたのか判明しないが、烈々布入植者の第一号である。
 烈々布とはアイヌ語に由来すると思われるが意味不明である。行政的には正式な字名としてではなく、現在の栄町付近の総称として使用されていたようで、隣接する篠路村の一部もこの名称に含まれていた。現在は烈々布神社と、古老が使う烈々布街道(現・丘珠空港線)などにこの名称が残っている。

 

 アイヌ語研究家藤村久和氏の考察では「烈々布の語源は、アイヌ語であることが確証されたと思う。道で寸断され、孤立している川の状態から、ル・エ・トイェ・プ(ru-e-tuye-p)、"道がそこで(川を)切っているもの"と音訳できるようだ」とのこと。

烈々布神社

 1889年(明治22年)11月9日札幌区鎮座三吉神社の分祀をもって小祠を設け「烈々布三吉社」と称す。

 1923年(大正12年)日の丸農場主「松本菊次郎」氏より境内地の寄進を受けて、社殿造営遷座し「烈々布神社」と社名を称す。同時に中通り地区・北組地区に祀られた祠(1899年(明治32年))を合祀し無格社となる。

【御祭神】
天照大神(あまてらすおおかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
大穴牟遲神(おおなむちのかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
埴安姫神(はにやすひめのかみ)
誉田別尊(ほんたわけのみこと)
崇徳天皇(すとくてんのう)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
藤原三吉命(ふじわらのみよしのみこと)

 祭神は道内でも一番といわれるほど多く、学問、衣服、薬(病気)、食物の神を祀っています。

烈々布神社(北海道神社庁サイト)

左:大正5年測図地形図では神社らしき建物は見当たりません。

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嶋良作翁之像(よくわからないのですが地域発展の功労者なのですね)

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神社史が書いてある石碑

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御朱印

車で来ると神社裏手に舗装&白線が引かれた立派な駐車場がありますのでそこに停めて参拝です。

拝殿右側に授与所がありますのでそこで声掛けをして対応して頂けます。

初穂料は300円です。

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素敵な字ですね。

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