藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【御朱印】札幌市豊平区 月寒神社

月寒神社(つきさむじんじゃ)は、札幌市豊平区月寒西3条4丁目1番56号にある神社で、福住厳島神社とは同根であり、旧社格は村社です。

月寒地区

月寒(つきさむ)は札幌市豊平区にある地名で、1871年明治4年)の入植時期から「つきさっぷ」と呼ばれ、1943年(昭和18年)に現在の「つきさむ」に変更(陸軍の要請による)されました。

地名由来はアイヌ語から来ていますが、『チ・キサ・ㇷ゚(chi-kisa-p)=我ら・こすった・もの(アカダモの木片を擦って火を取った所)』、『トゥ・ケㇱ・サㇷ゚(tu-kes-sap)=丘・のはずれの・下り坂』などが語源と言われていて、どちらかはっきりしていませんが、それらが訛って「つきさっぷ」になったようです。

1871年明治4年岩手県からの入植者が開拓を初めたのが始まりで月寒村が開村されました。

開拓功労者の一人である吉田 善太郎もその中のひとりで、明治20年には吉田牧場を開設したのち吉田一族は善太郎→善助(白老に移住後、社台牧場を創設)→善哉(社台グループ総帥)と日本競馬界の中心的存在となっていきます。

1896年(明治29年大日本帝国陸軍独立歩兵第1大隊(後の歩兵第25連隊)が、月寒村に転営する事となり周辺には演習場や水道施設が作られたほか、昭和の時代には北部軍司令部や北部軍防空作戦室が作られ、軍都的な顔も見せた時代もありました。

終戦後は進駐してきたGHQにより、谷地形部でカーブが多かった室蘭街道(現・国道36号)の直線化・舗装化が行われ(弾丸道路とも呼ばれていました)、現在までの発展の基礎となっています。

月寒神社

1884年明治17年広島県出身の移住者が厳島神社の御分霊と稲荷神の2柱を奉斎し、札幌郡豊平町字西山通(現・豊平区福住)に祀ったのが始まりで、1900年(明治33年)無格社「西山神社」が創建されました。

1903年明治36年)10月28日に「月寒神社」と改称し、1904年(明治37年)月寒村17番地への移転許可が認可された。(移転自体は軍の要請とされ旧地には福住厳島神社とし分離される)

その後1918年(大正7年)現在地に移転しました。

御祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
    大山祇命(おおやまつみのみこと)
    市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
    宇摩志麻遲命(うましまぢのみこと)

月寒神社(北海道神社庁サイトから)

 左:大正5年測図地形図の神社周辺には歩兵官舎・射撃場・練兵場が見えます。

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月寒忠魂碑

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開町五十年記念碑と吉田善太郎功労碑

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御朱印

参道左側に社務所があり駐車場もあります。

社務所は普段閉まっているみたいで、ピンポン必要です。

かれこれ3回以上伺いましたけど、奥様らしき方が対応して頂けるのですが宮司さん一人なので忙しく(地鎮祭とか)いつも留守でした。

その後電話で確認も3回位してやっと在所した日がありましたので速攻で伺いました。(2ヶ月かかったー)

今の所、難易度最高クラスです。

初穂料は300円です。

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